看護師生活

私は、20歳で看護師となりました。

今の道後温泉病院に就職し、24歳まで勤務。
その後、スキルを高めたくって愛媛県立中央病院へ転職しました。
県立中央病院では、血液内科に配属され、血液の癌といわれる白血病の患者さまを中心にみてきました。白血病の治療は抗がん剤治療と放射線治療、骨髄移植が主になりますが、寛解状態を目指す中、延命率は非常に低い印象でした。毎日毎日、誰かが病棟で亡くなる日々。看護業務も多忙を極め、まだ長男が一歳の時期でしたが、帰宅は21時すぎで、眠っている長男を眺める日々でした。
その時、愛媛に住んでいた姉にはかなりお世話になり、よく家に来て長男のご飯やお風呂、寝かせ付けまでしてもらっていたのを今でもよく思い出します。

子供との時間もとれない日々で、私は何のために看護師をしてるんだろう。もっと子供との時間を大切にしようと思い、県立中央病院を退職しました。
三ヶ月ほど、専業主婦をした後、もともと勤めていた道後温泉病院へまた戻り勤務する事になりました。

道後温泉病院は、プライベートの時間がある程度確保できるので、子育てし易い環境でした。
子供が病気になっても、早退やお休みを貰えます。県立中央病院では『預けて出勤してきて』と、言われます。
病気で、辛い時に傍に居てやれないって、母親として辛くて情けない事ですよね。
なので、病気の時はきちんとお休みがとれ、傍に居てあげられる環境となり、とても子育てがしやすく助けられました。

病気だけではなく、子供の学校問題の際にも、かなり融通をきかせていただき、無事に長男も通信制高校を卒業する事ができました。



看護師という仕事が私はとても好きで、仕事する事がストレス発散でした。
若い時には、好きすぎるがゆえに、厳しかった様です(後輩いわく)。命を携わる仕事に、甘えは要らないと考えていたし、プライドをもって看護師という仕事をして欲しいと常に考えていました。

よく、褒めて欲しい、認めて欲しいという後輩たちの苦情も聞きました。褒め下手なのもありますが、私は仕事は、して当然なので褒める必要があるのか若い頃は理解ができませんでした。
そんな厳しかった私も、どんどん老化(笑)し、体力や記憶力の衰退が進み……人の弱さも実感するようになり、人は完璧ではないことを身をもって知るようになりました。

いつも最善の看護を提供したいし、患者にも生きてきた歴史があり生活があり気持ちがある事をきちんとわかって看護を提供して欲しい。
今後の看護現場が、もっと優しさで溢れる事をいつも願っています。


二年ほど前の転機から、起業を決意し、ようやくスタート地点に立つことができそうです。
病院では、まだまだ納得のいく看護ができなかった分、地域に出て、おひとりおひとりにしっかりと愛情をもってケアを提供していきたいと思っています。

看護師生活もあと二週間、残りの時間をしっかりと楽しみます。

〜看護師による足のトータルケア~ footcare salon uta

2023年2月 愛媛県松山市大手町で、看護師による足のトータルケアができるサロンがOPEN! 足は第二の心臓です。足爪の変形、巻き爪、魚の目があると、歩きづらくなったり、歩きたくなくなったり。すると、どんどんと筋力の低下や骨格の変形に繋がり、病気を誘発するという魔の連鎖に陥ります。足の健康と健康寿命はとても関係が深いのです。いつまでも健康な足で歩く。今から『当たり前のフットケア』始めませんか。

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